2泊3日スコットランド旅行 Edinburgh & Glasgow 2019/01/19-2019/01/21
オランダ留学37
Scottish!!!
スコットランドは知っているようで、あまり知らない。
そもそも、英国の一部であるからイギリスでひとくくりにできそうな気もするが、そうもいかない気もする。
スコットランドといって思いつくものは、何があるだろうか。
こんなものだろうか?
2泊3日と短い旅行ではあったが、訪れた場所などをたらたらと書き連ねてみる。
Edinburgh エディンバラ
Edinburgh はスコットランドの首都で、国鉄の線路を挟んで、旧市街とニュータウン(?)の2つに大きく分かれている。
イングランド・ロンドンには何度か行ったことはあるが、同じイギリスなのにこんなにも違うのかと驚いた。
ただ、よく考えれば日本でも同じことだし(京都と東京とか、仙台と山形とか)、イングランドと行っても中心のロンドンしか訪れたことがないから、比べようがないとも思う。
街並みはどこも、まさにヨーロッパ風の、イギリス風の、クラシックな石造りの建物が石畳の道を挟んで立ち並んでいた。
また、旧市街の方は特に起伏がやや激しく、エディンバラ城につながる一本の道が屋根の最頂部のようになっており、いくつもの下の街へとつながる道が〇〇 closeという名前で存在していた。
エディンバラ城は写真のように、少し小高い丘の上に堂々とそびえたっている。
城内には、様々な博物館のようになっており、何百年というエディンバラ城を舞台にした歴史的な出来事についてや、第一次および第二次世界大戦、また湾岸戦争など、戦争の博物館など。
ゆえに、第二次世界大戦に掛かる展示には、イギリス軍が鹵獲したナチスのカギ十字の旗や、日本軍指揮官の日本刀などもあった。
スコットランドの民族衣装の柄に代表されるタータンチェックは、軍にも採用されていたのかと思った。
エディンバラ城は連日観光客で賑わっており、晴れていればライトアップも、麓の城下町からキレイに見ることができただろうなと、思った。
グラスゴー編
エディンバラからグラスゴーまでは、スコットランドの国鉄・快速電車を利用して一時間弱で行ける。
東京でいうとこの横浜、オランダでいうとこのNijmegen と Utrecht、大阪と神戸くらいだろうか。
エディンバラが城を中心として城下町の趣を現在でも伝えている一方で、グラスゴーは新しい建物も多く、観光だけでなく現地の経済もより活発な様子が伺えた。
まずは、グラスゴーの大聖堂へと向かった。
歴史については詳しくはないが、中世の騎士道の世界にタイムスリップしたような気がした。
教会、大聖堂はこれまでもいろいろと訪れてみたが、それぞれ中の雰囲気、宗派、ステンドグラス、石の色、すべてが異なっており大変面白い。
また、その後は多くの地元のお店、観光客向けのお店の立ち並ぶ中心街をだらだらと抜けて、歩いてグラスゴー大学へと向かった。
グラスゴー大学は、経済学において「神の見えざる手」を提唱したアダム・スミスや、ジェームズ・ワットなどとても著名な偉人たちの在籍した由緒正しき大学である。
なにしろ創立600年弱ということで、600年前の日本はたぶん室町時代だったのだろうが、そこから今まで大学が存在するなんて、もう何が何だか分からない。
そして、大学の中はまさに映画のハリーポッターの世界のようであった。
一つ一つの門や石、尖塔は何年の歴史があるのだろうかと思った。
この日は日曜日であったが、観光客も多く、大学内にある博物館にも無料で入ることができた。
スコットランドは大英帝国の一部だったこともあってか、New Zealandのマオリ族に関わる展示もあった。
訪れた土地の大学巡りというのは、ヨーロッパならではだと思った。
以上
オランダの冬の天気にキレそう 2019/01/12
オランダ留学36
おい、天気の神様!!!
オランダ、ナイメーヘンの冬は日本とは大きく異なるようだ。
11月の終わり以降、1週間の内半分以上は上の写真のような、どんよりとした曇った日が続くように感じる。
朝、太陽の光が部屋に差し込んできて、小鳥のさえずりと共に起床する生活とは程遠い。
一日中空の色が同じような色なので、朝なのか昼なのか夕方なのか、よくわからない。
ネットで調べたら、オランダを含めヨーロッパ在住の日本人に加えて、現地の人々もこの冬の有様にはやられるらしい。
というのも、ずっと曇りで、度々雨になり、晴れ間も時々思い出したかのように見せる程度の期間がずっと続くと、精神的にやられるらしい。
そういうわけで、晴れ間が出たら出来るだけ、10分だけでも外に出て散歩なりで気分をリフレッシュさせている。
下の写真は、本日の15:00ごろの様子。
なんとも言えない。
そして、次は今後1週間の天気予報。
明日は雨らしい。
せめて雪なら、景色も楽しめるのだが、、、。
テスト期間も重なり、またそろそろ半分以上の友人とさよならする時期ともあって、1月の終わりから2月の初めにかけては、なかなかキツく気分の乗らない日も続くと思われる。
気分転換できるようなことを、意識的に行うようにしないと、と思った。
以上
オランダの電車内は日本に比べてうるさい 2019/01/02
オランダ留学35
オランダ人の特徴?
今回はこれまで利用してきた電車を通じて思ったことについて。
11月にロンドンに飛行機で行くために、Nijmegen からSchiphol 空港まで電車で向かった際のことである。
オランダの電車は一等車・二等車の二種類に加えて、さらにSilence と書かれた電話などができない車両と書かれていない車両、計4種類が存在している。
席は下の絵のように、4つの席が向かい合いうように並んでいる。
通常の車両では、皆互いに喋ったり、めちゃめちゃデカイ声で、しかもわざわざビデオチャットにして電話している人が多く見受けられる。
この日は、何も考えずに電車に乗ったら、たまたまSilenceの車両であった。
Nijmegen 駅を出発し、何駅か停車した後にかなりうるさい集団が乗り込んできた。
しかも、運の悪いことに通路を挟んで隣の席と、4つの同じボックスの残りに座り込んできた。
声はでかいしうるさいし、おまけにおそらくオランダ語で何か自分のことを馬鹿にしたようなことを言ってくるしで最悪だった。
適当に「は?」といったような目線を送って、無視してからは何もなかったが。
何に驚いたかというと、ある意味差別的な絡みをされたことよりも, 「静かに」と書いてある車両で、うるさくしていることに驚いた。
というのも、違う日の友達と例によってSilenceの車両に乗った際に、それに気づかず喋っていたら、乗客に注意されたことがあるからだ。
日本はルール・マナーを無意識に守ろうとする意識が強いように感じるし、目立つような行為はある意味危険である。
それと同じように、日本ほどではないがオランダでもルールというものを人々がある程度守る国なのか、と思っていただけに、この出来事は「あれっ?」と思った。
まあ、このようないわゆるモラルの高さや問題は、人種をまとめて一概にこうだと言い切ることはできない。
普段から電車などの公共交通を使わないし、オランダ人の多くいるコミュニティにはラグビークラブにしか参加していないので、まだまだ自分はオランダのことを理解しきれていないなと思った。
以上
2018年の終わりと2019年 2019/01/01
オランダ留学34
2018年終了!
2018年の8月の中頃から、オランダ・ナイメーヘン、ラドバウド大学での留学生活が始まって、早いものでもう年を越してしまった。
オランダに到着したばかりのオリエンテーションウィークの期間中には、まさか12月が終わり、年を越すとは思わなかった。
しかしながら、これは高校を卒業するときにも感じたことであるから、おそらくこの調子で1月もあっという間に終わり、半期留学の友人たちも帰国し、なんだかんだで春がきて夏が来たら、もう7月がきて帰国、ということが容易に想像できる。
今はまったくこの留学生活が終わることは想像できないし、帰国して日本の大学で再度授業を受けることになるのだろうが、どうなるのだろうか。
また、7月にオランダでの最後の試験が終わった時に、留学前および当初に掲げていた目的は達成されるのだろうか。
達成されても、されなくても自分はヨーロッパの、特に欧州連合のパスポートは持っていないので、少なくとも一時的に帰国となる。
2018年後半の振り返り
8月に一人でオランダに到着したときは、まさしくそれまで日本で作ってきた人間関係やその他もろもろが一切リセットされたような状態で留学がスタートした。
また、第一の目的である学問にかかる部分についても、日本とは大きく異なる分野での勉強がスタートした。
幸いなことに、友人はすぐにできたし、今では文字通り世界中に友達がいるようなものだ。
皆と比べればまだまだ成長の余地はあるものの、自分の言いたいことを英語で言えるようにどんどんなっていると思う。
ただ、やはり今ではすこし慣れたとはいえ、英語での大学の勉強というのは容易ではない。
授業中に関しては、日本と比べてかなり積極的に発言・参加する姿勢がみられる。
しかしながら、自分はと言えばまだまだ授業の内容を必死に理解して記録しようとすることだけで手いっぱいであるから、まだまだ他の学生のような余裕はない。
ただ、これに関してはしっかりと各授業ごとに設定されている文献を読んで、授業を聞いて、ほかの学生がいかに発言しているかを聞いて、、、
という風に訓練して行くしかないと思っている。
やはり、ラドバウド大学で受けているような英語での参加型の授業という経験は日本ではないし、それを4カ月そこらでうまくこなせるとは到底思えない。
だからと言って手を抜くわけでもないし、落ち込むこともないし、ただ淡々と自分のできること、コントロールできることに集中して、ということでしかないと思う。
2019年前半、留学終了まで
留学生活もあと7カ月をきった。
長いようにも思えるが、いままでの4カ月を過ごしてみての感覚だとおそらくあっという間に過ぎていくのだと思われる。
短い留学期間が終わった時に充実していたと思えるようにするためには、結局最初の目的を定期的に確認しながら、そしてその目的を軌道修正しながら、やるべきことに集中していくしかない。
まずは、自分の興味のある分野の学問について積極的に学習を行うことである。
必修科目などの縛りがない状態であるから、新しい領域のことを学ぶにはとても適していると思う。
また、たまたまオランダのナイメヘーン、ラドバウド大学で同じ時期に留学に来て知り合った友人との時間を大切にしていきたい。
特に半期留学の友達とは、1月で一旦お別れとなるから、なおさらだ。
1月以降も積極的に外に出て、多くの人と喋ってみたい。
さらに、現在も継続中のラグビーについても、地元のチームおよびなにかの縁で繋がったヨーロッパ中の日本人チーム、これらの縁を大切にして残りの半年少し精一杯怪我なくプレーできたらと思う。
以上
クリスマス・スイス旅行 2018/12/22-2108/12/26
オランダ留学33
Switzerland
ヨーロッパに国々にとって、クリスマスとはとても重要なイベントのように思える。
キリスト教にとってとても重要な期間であるからというよりも、日本でいうお正月のように、家族や親戚で集まって過ごす大切な時間のように思える。
そういうわけで、自分も含めて9人いる寮のフラットメイトも、クリスマスに時期に合わせて自分以外ほぼ全員帰国する。
クリスマスの時期は、お店も開かないし、友人も帰国してしまう、というような話を聞いたことはあるが、まさか本当に全員がちゃんと帰国するとは思わなかった。
大学の授業は21日金曜日の回で最終回であり、それ以降は1月末まで一応テスト期間となり、授業は無い。
クリスマスの前後は、オランダ・ナイメーヘンに残り、誰もいない街を体験するのも悪くはないと思ったが、いわゆるいつメンの非欧州出身の友人2人ともう1人の日本人の友人と共にスイス旅行へ行った。
Day1 12/22
この旅行では、自分たちで宿や飛行機バスを予約せずに、ツアーに申し込んだ。
この日はただ移動だけである。
夕方にNijmegen 駅に集合して、集合場所のEindhoven へ向かった。
電車で一度乗り換えて、1時間程度の場所である。
集合場所からバスに乗って、ほぼ12時間かけてスイスの最初の目的地を目指した。
いわゆる夜行バスである。
2階建てで、日本のものよりは少しだけ大きいバスであった。
一応トイレはついているが、人数の関係上出来るだけ休憩所の外のトイレを使用してくれとのことだった。
そんなことまで書かなくても良いとは思うが。
2時間ごとくらいで、休憩のために何度か停車したので、その度に眠かったが、外に出てストレッチをして、できるだけ疲れが溜まらないように努めた。
結局お尻が痛くなったが。
1日目はただただ移動であった。
Day2 12/23
朝7:00過ぎに最初の目的地についた。
オランダから南に少し下ったとは言え、到着した時はまだまだ真っ暗であった。
なぜか、到着してから1時間程度その場で待たされた。
まあこれが安いということなのだろう。
スニーカーはスイスの冬に適してないようで、寒さというより冷たさが足の裏にガンガン伝わってきた。
しかしながら、到着したばかりの時は暗くて気付かなかったが、少しずつ明るくなるにつれて、夜の暗さだと思っていたものが、山の黒い岩肌だということが分かり、また山頂は真っ白な雪で覆われていることが分かった。
とても寒かったのと同時に、とても印象的であった。
結局1時間後、自由行動だと告げられ、少し先まで皆で歩いてみることにした。
スイスの山々、アルプスの地形は氷河が大きく関係しているように見えた。
日本はプレート同士がぶつかって隆起したところを、川の水が長い時間をかけて削っていった地形が多い。
そのため、山と平地が比較的なだらかに繋がっている。
しかしながら、スイスは氷河が長い時間をかけて地面を根こそ削って出来た地形の様で、山が日本と比較して切り立った様に、平地と直角にそびえ立っていた。
これらは、高校で習った地理の知識であるから正しいかどうかは知らない。
ただ、氷河が大きく関係していることは確かである。
バスで集合場所に戻り時間があったので、スイスフランを下ろし、カフェで適当に朝食をとった。
その後電車でInterlaken という街へ移動した。
街に着いてから、皆夜行バスの疲れかなりきていたので、色々見て回って一番値段が手頃なフードコート的な店に入った。
少し食べて、少し休憩した後、Interlaken の街の名前の由来ともなっている湖(lake)へと向かった。
中心街、川沿い、森の中を30分くらい小雨のなか歩いた。
とても広い湖の割には、波も少なくとても静かな場所だと感じた。
傘は今回の旅行には持参しなかったので、小雨ではあったが往復で1時間弱の道のりであったため、だいぶ濡れて大変だったがとても印象的な時間を過ごせたように思う。
留学が終わって日本に帰ってから雨に濡れるようなことがあれば、もしかしたら今回のスイス旅行を思い出すのかもしれない。
集合場所に向かい、時間が少しあったのでスーパーで軽食を購入してからバスでホテルへと向かった。
2時間程度してから夜の9時過ぎに到着した。
予想していたよりもかなり綺麗なホテルで部屋も十分広かった。
シャワーを浴びて皆でピザの宅配を頼み、食べて飲んで寝た。
最後にちゃんとベッドで寝てから、丸一日が経過していたのですぐに眠れた。
Day3 12/24
三日目は朝7時にはバスに乗り込まなければならなかったため、6時前にに起床してシャワーを浴びてから朝ご飯をゆっくり食べて出発した。
この日の目的地は、旅行のメインともいえるヨーロッパ一の山、モンブランである。
モンブランはフランス語で白い山という意味である。
フランス語は分からないが、スペイン語で白い、という意味のBlanco に対応している。
当初は60€程度支払いケーブルカーで山頂まで行く予定であったが、当日の天気がすこぶる悪く、前日よりも雨が強かったため、半額のケーブルカーで山の中腹まで向かった。
ケーブルカーを待っている間に、何度がまるでカーテンのような雲だが霧だがが晴れて少しだけところどころ白い雪の積もった山肌が見え、とても印象的であった。
ケーブルカーに揺られながら目的地を目指し、5分程度で到着した。
途中は残念ながら雪と雨のため視界が良くなかったが、急な傾斜に積もった雪や黒い岩肌などオランダでは見れない景色であった。
山頂は雪がかなり積もっており、綺麗に雪かきはされていたが、何もしなければ50cmは積もっていたと思う。
また、雪が横殴りに振っており、もはや痛かった。
今回は残念ながら、ヨーロッパ一の山を見ることはかなわなかったが、それが逆に印象的であるように思う。
山小屋のような店で各々飲み物を飲んで、少し休憩した後再度外に出てヨーロッパの雪山を感じた。
再度ケーブルカーで山を下りた後、ケータイで店を探して昼ご飯を食べた。
集合時間まで、街を散策したり、カフェに入ったりして街を楽しんだ。
16時前にバスに集合となり、次の目的地であるGeneva・ジュネーブへ移動した。
クリスマスイブということもあって、人通りも少なく店もほとんどが閉まっていた。
しかしながら、大きな湖に夜の光が反射していたり、協会からクリスマスのミサの音楽が聞こえてきたりと、とても良い時間を過ごせたように思う。
Genevaは聞いたところによると、金融とか高級な時計とかそういった類の職種が集まるお金持ちの街?らしい。
街には路面電車も走っており、とても素敵な街だなと思った。
集合時間前にバスに乗って、一時間程度でホテルに戻り夕食をとってから寝た。
Day4 12/25
スイス旅行もこの日が最終日である。
この日のアクティビティはお城をみること、そしてスイスの首都であるBernを訪れることだ。
朝は前日に比べゆっくりと始まり、朝10時ごろに集合であった。
そこからバスで2時間程度で湖のほとりにあるお城に到着した。
スイスのアルプスと言い、静かな湖と言い、どれもこれもまるでヨーロッパ・外国そのものであった。
改めて日本を離れていることを実感する。
30分程度で再度移動となり、スイスの首都へ移動した。
これまたクリスマスということで、ほとんどの店が閉まってはいたが、前日よりも明らかに観光客の数は多かったように思う。
Bernは今回の旅行で訪れた都市の中で、一番好きな雰囲気であった。
ただ、昼ご飯を食べようとしたが、すべてが高すぎた。
タイ料理の店は25フラン、マクドナルドのハンバーガーは15フラン、、、。
(1ユーロは、おおよそ1.13スイスフランである。)
スイスは高い高いと言われるが、本当に高かった。
結局集合場所の付近にあったスーパーでいろいろと食べ物を買い、バスの中で食べた。
その後は、またひたすらオランダ・ナイメーヘンを目指してただただバスに乗って移動した。
ナイメーヘンまでのバスはなかったので、再度Eindhovenで降りて、30分歩いて、夜行バスに乗って一時間程度で到着した。
スイスまでの往復のバスが非常に長かったが、全体として非常に楽しめたと思うし、忘れられないクリスマスになったと思う。
以上
パリ、ラグビー、ストラスブールとクリスマスマーケット、その他もろもろ 2018/11/23-2018/12/09
オランダ留学32
嗚呼、忙しい!!
11月の終わりから、12月の半ばまで、めちゃめちゃ予定が盛りだくさんで、あっという間に時間が過ぎていった。
そもそも授業で忙しい。
学生なので当たり前だが。
毎週3つ4つ文献を読んで、それについてのレポートを提出するので、まあ大変である。
また、週末にはパリでラグビーをして、美術館にも行って、ドイツのKöln(ケルン)のクリスマスマーケットへ行き、そしていわゆるいつメンでドイツ国境近くのフランスのStraßburg(ストラスブール)を訪れた。
家でゆっくりと過ごす週末とは異なり、毎週どこかへ出掛ける感じであったから、非常に濃い期間であった。
それぞれの簡単な記録は以下のとおり。
パリ編 2018/11/23-2018/11/25
今回のパリ訪問の目的は、観光ではなくラグビーをすることだった。
オランダに来てから参加しているラグビーチームに参加するにあたって、選手登録の件で日本のラグビー協会と連絡をとらなければならなかった。その際に、協会の方からアムステルダム在住で現地の日本人ラグビーチーム参加している方の連絡先を教えていただいた。
その方と連絡を取り合い、今回パリの現地の日本人ラグビーチームとフランス人チームとの交流試合に参加させていただくこととなった。
Nijmegenからパリまでは今回は電車を利用した。
飛行機は空港での手続きや待ち時間も含めた合計の待ち時間、バスは試合当日の朝到着することの疲れやリスク、などを考慮した結果、決して安くはなかったが、高速鉄道を利用することにした。
また、学生割引があったこととおそらく二度と経験しないだろうということから、一等席のチケットを購入した。
席の様子は上の写真の通りである。
パリに到着後は、例のアムステルダムの日本人チームの方と合流して、日本食レストランへ連れて行ってもらった。
全く持って久しぶりの寿司やら酒やら、カキやらで非常においしく、ある意味新鮮であった。
例のアムステルダム在住の日本人の方には非常に感謝している。
まさか、オランダに来てこのような縁があるとは思わなかったし、どこで誰に合うかは分からないものだ。
宿泊したホテルは、下のオペラ座の近くで非常に賑やかな通りに面していた。
いつか、ここでオペラを観に行けたら素敵だなと思った。
上の写真は、パリでちょうど起きていた「黄色いベスト運動」とやらの写真。
奥にバリケードにようなものが見える。
またこの週末には、至る所で何か燃えた跡があったり、バス停のガラスが割られていたり、警察が重武装で大量出動していたり、印象に残る初めてのパリ訪問であった。
金曜日と土曜日は、ほぼ全ての時間をパリの日本人チームを中心にヨーロッパ中から集まった日本人ラグビープレイヤー、そして例のもはやオランダの両親と言っても良いアムステルダム在住の方々と過ごした。
ラグビーの試合は、オランダでやっているよりも、フィジカルが弱く、皆少し年が上で、そしてスキルは高かった。
その後の交流会やら飲み会やらは、まさに「日本式」で、パリにいながらそこだけは日本であった。
日曜日の午後の電車で帰る予定であったから、朝少し早く起きて、オランジュリー美術館とオルセー美術館を訪れた。
共に、オペラ座の近くで、電車で2駅くらい行ったとこだったと思う。
オランジュリー美術館の開館は9:00であったから、15分くらい前に着くように行ったが、すでに少し待機列ができていた。
雨だったのに。
オランジュリー美術館は小さい美術館ながら、壁一面の圧巻のモネの睡蓮の絵が見どころであると思った。
近くで見たら、雑多な色にしか見えないのだが、少し離れてみると、おそらく写真以上に睡蓮の池を観察したであろう様子が伝わってくる。
一瞬を切り取った絵というよりも、その景色の色々な時間を組み合わせているように感じた。
また、それらを再現するにあたって、おそらく何種類かの基本的な絵の具からして作り出した色というのも、とても技術が高いなと思った。
この日は、2つの美術館でそれぞれチケットを購入したわけではなく、オランジュリーでオルセーとのセットになっているチケットを18€くらいで購入した。
故に、オルセー美術館の前には雨にもかかわらず、チケットを買うための列が長々と出来ていたが、言わばファストパスのようにすんなり入ることができた。
この日は、自分の好きな印象派の絵がこれでもかとあり、大変興奮した。
写真は大量に撮ったのだが、上に載せたものは、有名なゴッホ、ルノワール、モネの絵である。
また、美術館は大変広く、とても全て回りきることはできなかった。
留学が終了するまでに、再度訪れようと思ったし、その際は何をテーマにしたコレクションがあって、何時にどこへ行って、と完璧な作戦を立てるべきだと感じた。
帰りの電車は、諸事情により色々な駅で乗り換え8時ごとにやっと家へ戻った。
途中以前も訪れたアントワープ駅で写真を撮った。
パリは、7月までにあと2回くらい来る気がした。
Köln編 2018/12/01
この日は、ラドバウド大学の学生団体の企画したクリスマスマーケットツアーに友達と参加した。
場所は、Köln。
おそらく日本語ではケルンと発音する。
知らんけど。
この時が、クリスマスマーケットというものに初めて触れた日であり、大いに楽しむことができた。
クリスマスマーケットでは基本的に、食べて飲んでの繰り返しである。
ドイツ?のクリスマスマーケットの代表とも言えるGlühwein は、赤ワインにりんご、オレンジの皮、それからナツメグやらなんやらのスパイスを加えたあったかいワインである。
また、他にもジャガイモのペーストを揚げたものや、バカでかいソーセージなど、これがドイツです!!!!と聞こえてきそうな食べ物ばかりであった。
各会場では、それぞれオリジナルのマグカップがあり、追加のお金を支払えば、ホットチョコレートだの、Glühwein だののカップを持ち帰ることもでき、それもまたクリスマスマーケットの楽しみの1つであると思った。
上の写真のケルン大聖堂は、ヨーロッパの中でも指折りの古いカテドラルらしく、賑やかなクリスマスマーケットの空気と打って変わって、中では違った空気が流れているように感じた。
夜になると、また景色が変わり一日中クリスマスマーケットを楽しむことができた。
Kölnは小さい町ではあったが、充実したクリスマスマーケットを過ごすことができた。
ラグビー試合 2018/12/02
この日は、2週間ぶりのホームゲームでまたもや9番で先発した。
この日は雨がずっと降っており、おそらく試合の中で絶対にミスが連発する時間帯があるなと思ったので、その時は近く、より時間をかけてボールと裁こうと考えていた。
また、チームのゲームプランとしては9番と10番のハーフ団がとにかく蹴りまくるということであった。相手にはでかいバックスがいるので、背走させてスピードに乗らせないということだろうか。
結果として35-5で先日に試合に続いて勝利することができた。
まずはゲームプランがしっかりはまり、またセットプレーでしっかりとボールを獲得できたことが大きい。
相手のブラインドのウィング側に結構スペースがあり何度か陣地を稼ぐことができた。
また、この日も結構フォワードで圧倒することができたので、きついプレッシャーを受けることなく、時間をかける時は時間をかけ、早く出す時は早くと、状況に応じてプレーすることができたように感じる。
あとは、プレッシャーがきつい時にどうするかなどを考えられればもっと良いと思った。
この日は、9月からのチームの公式戦の出場数が5試合目であったため、試合の後
Road Trip 2018/12/07-2018/12/09
この旅行は、いわゆるいつメンでストラスブールのクリスマスマーケットに行くことが目的であった。
また、グループの1人の実家がストラスブールから1時間近くにあるため、そこに皆で泊まった。
金曜日の朝11:00ごろ順次集合し、皆でレンタカーを借りてから、旅行がスタートした。
金曜日にもともとストラスブールのクリスマスマーケットに行く予定であったが、時間の都合上あまり時間がとれないようだったので、予定を変更し、ハイデルブルグのクリスマスマーケットに向かった。
夜の18:00過ぎに会場に到着し、皆でマーケットを回った。
ドイツのクリスマスマーケットはやはり楽しい。
Heidelberg はこれまた小さな町であるが、商店が立ち並ぶ通りも古風に整備されており、イルミネーションもキレイであった。
下の写真では、奥にオレンジにライトアップされたお城が見える。
とてもキレイな街であった。
夜ご飯を食べ、夜中の12:00前に家に着いた。
2日目は朝ごはんを食べ、車でストラスブールへ向かった。
手前の、なんとかという街に車を停め、路面電車でストラスブール目指した。
15分程度の乗車であったが、ドイツからフランスへ国境を路面電車で越えるというのは、なかなか面白い体験であった。
ストラスブールは、友人らの説明によれば、ドイツ領になったりフランス領になったりと、何度も国境線が変化した付近の街であるから、両国の文化が入り混じっているらしい。
またもや、街が綺麗にクラシックに整備されており、多くの観光客で賑わっていた。
クリスマスマーケットもいろいろで、ドイツ、フランス、そしてフィンランドのマーケットなど、各国の文化が入り混じっていた。
下の写真は、サケを焼いている様子である。
フィンランドのマーケットにて見かけた。
雨が途中で降ったが、概ね天気も悪くなく、素晴らしい時間を過ごすことができた。
また、11:30ごろに帰宅してから皆でドイツ料理の1つ、Flammkuchen を皆で作って食べた。
夜中に皆で料理をする機会は生まれてからあまり経験がなかったので、非常に楽しむことができた。
また、今回の旅行は車でオランダからドイツを通過し北フランスまで向かったため、車内で音楽を流して、たくさん話してととても楽しい時間を過ごせた。
これも、運転してくれた友人らや、家を提供してくれた友人、計画してくれた友人らのおかげである。
とても感謝している。
色々なマーケットでの、マグも何個か手に入れることができ非常に嬉しい。
非常に忙しい期間であったが、とても充実していたように思う。
以上
海外留学中はどこで髪を切れば良いのか??!! 2018/11/24
オランダ留学31
髪をどこで切ろうか
もうオランダは冬が来たと言って良いだろう。
今週は、ロッテルダムで雪が降ったらしい。
我々人間であるから、日本を離れてオランダで留学していても、髪は通常通り伸びる。
ロンドン、アメリカ、オーストラリアといった、日本人が多く住んでいそうな国に住んでいれば、日本人経営の理髪店・美容院が見つかりやすいと思う。
オランダでもアムステルダムのような大都市であれば、比較的髪をどこで切ろうか迷うことは少ないのではと思う。
人口が多くたくさんのお店から選ぶので、インターネットなどを通じて評価が蓄積する。
また、アムステルダムには日本人経営の理容院・美容院があるらしい。
しかしながら、アムステルダムから100kmも離れたナイメヘーンともなれば話は変わる。
日本人経営の店はもちろん無い。
無いというか、見つけることはできなかった。
オランダ人経営
オランダ・ナイメヘーンでの留学が始まる前に、日本で髪をめちゃめちゃ短くした。
中坊くらい。
おそらく、はじめのうちは新しい環境に慣れないし、そもそも探すのに手こずると思ったからだ。
無駄な心配事をいちいち増やしたくはなかった。
しかしながら、髪は伸びるもので、特に自分の髪質の都合上、2ヶ月切らないというのは無理だ。
直毛・硬質の運命である。
どの店が良い?
調べたところ、8月18日の日本出発前に髪を切って、9月27日にオランダで初めて髪を切った。
そして今日までに、合計で3度オランダで髪を切った。
いずれもオランダ人の経営している、寮の近くの理容院だ。
アムステルダムの日本人経営の店まで行くことも一瞬考えたが、少し手間だし交通費まで含めると少し高すぎる。
色々な国に留学した人のブログなど見る限り、それぞれ同じような悩みを抱えている。
ナイメヘーンに住んでいると言えども、いろいろな選択肢があるわけで、じゃあなぜ結局地元の理髪店に行ったのか?
これは考え方に問題でしか無い。
結局留学は一年だけだし、300日程度の留学期間中に髪を切るのはおそらく多くても10回程度。
それが終われば一旦は帰国となり、いつも通っていた店へ行くことができる。
もうオランダで生活している間は、そもそもいろんなコトにある意味期待しない、という風に考えている。
電車に乗ればそこそこ汚い時もあるし、日本のような便利なコンビニも無い。
同じように、髪質も言語も切り方も全く異なる国で、母国と同じように髪を切れるはずはない。
完全に満足いく店を見つけるのは、ほぼ不可能だろう。
こんな風に考え出したら、気持ちが軽くなり、いろいろ楽になる。
ある意味諦めた結果、寮から一番近いオランダ人経営の理髪店に今まで3回行った。
料金・時間
寮がそもそも中心街から少し離れていることもあり、近くにある理髪店は若い人々で賑わっているような感じではない。
むしろ、地元のおじいちゃんしかお客さんを見たことがない。
初回は割引だったのか、€16だった。
2回目以降は€20になった。
カットのみで、シャンプーも、時にはドライヤーも無し。
こういう風にしてほしいと正面からと横からの写真を見せて、ショート、ベリーショートと言いまくる。
そのあとは、ただ淡々と髪を切られるだけだ。
ハサミとクシ、バリカンでガンガン切られる。
毎回20分足らずで終わる。
今まで3度行って、3度とも違う人に切ってもらった。
気まぐれと諦めの限界
先程、もう留学中は「諦めて」いるから、髪などどーなったって良い、みたいなことを書いたが、それでも限界はある。
短くカットするだけだから、変になりようがないだろ、と思っていたが、3回目にしてついにおかしくなった。
1度目は、オランダにしては完璧なカットであった。
2回目もまあ良かった。
しかし3回目は、担当の方が英語をあまり喋れないこともあり、自分のイメージをうまく伝えることが出来ず、想像と全然違う頭になり、なおかつ少しおかしかった、、、。
担当の理容師が英語をあまり喋れなかったことを責めることはできない。
なぜならここは、オランダであり、なんなら自分がもっとオランダ語を学ぶべきである。
やはり、あまり情報の無い地元の人々向けの理髪店に行くのは、限界があったようで、今後は寮の友人に教えてもらった別の地元の店の行くことにする。
諦めはかなり有効ではあるものの、限界があるし、諦めの範囲で満足を求めていきたい。
以上