オランダの主要都市 アムステルダム編② 2019/03/29
オランダ留学44
Amsterdam
前回に続いてアムステルダムの見どころについて、今回は以下の項目から言語・大麻・アンネの家についてを紹介する。
い、美術館
ろ、運河と街並み
は、言語
に、大麻
へ、アンネ・フランクの家
美術館および運河と街並みの記事については以下。
は、言語
オランダには、基本的にオランダ人が住んでおり、オランダ語で会話がなされる。
これは特に、Nijmegenにいるときに強く感じることだ。
しかしながら、アムステルダムはヨーロッパでも人気の観光地であるように思えるため、なかなかオランダ語が耳に入ってくることは無いように感じる。
特に自分の場合は、観光を目的としてアムステルダムに訪れることが多いため、行く場所行く場所観光客だらけという状態だ。
いわゆる観光地の美術館や有名な建物なんかは、スペイン・イタリア・フランス・イギリス・中国・韓国・日本、、、これらの言語が聞こえることが多い。
また、電車やバスではオランダ語の案内に続いて、英語で説明がなされることもある。
ただ、これは英語圏以外の各国の首都でも起きているように感じる。
日本で言えば東京や京都、またフランスのパリなど。
だからどうだということではなく、単に自分の住んでいるNijmegenとは大きく異なるなあということだ。
に、大麻
大麻はアムステルダムの特徴的な部分、もっと言えば特徴的なニオイのように思う。
観光客がいたるところで大麻をバカスカ吸っている。
また、歩きながら吸っている観光客もいるため、なかなかニオイがきつい時がある。
観光客の中には、オランダの合法の大麻を求めてやってきたのではないか、というくらい吸っている方々も見受けられる。
大麻は「Coffee Shop」という店で売られ、パスポートやIDカードなどの身分証があればオランダ人以外も購入可能らしい。
ただし、日本人の場合はオランダが合法だからといって吸えるわけでないらしい。
購入はおすすめしない。
ほ、アンネ・フランクの家
最後はアンネが第二次世界大戦中にナチスから逃れるために過ごしていた隠れ家について。
アンネの家系はユダヤ系であったため、ナチスから逃れるために知人を頼りにアムステルダムに移り住んだ。
移住後は、現地の学校にも通い父親も仕事を営むなど「普通」に暮らしていたが、ドイツのオランダ侵攻を機に、ユダヤ人のみの学校に通わざるを得ないなど徐々にオランダ・アムステルダムでもユダヤ人への圧力が高まる。
隠れ家には2年ほど暮らしていたが、1944年の7月に突然隠れていた家族全員見つかり、ドイツの強制収容所に送られる。
アンネの家族で戦争および強制収容所を生き延びたのは、父親のオットー・フランクだけである。
アンネ・フランクの家では、実際の隠れ家の様子のほか、有名なアンネの日記も見ることができる。
2年間という長い間、どれだけ怖い思いをして家族は暮らしていたのだろうか、と思う。
しかしながら、館内に展示されているユダヤ人犠牲者の名簿もまた自分にとって衝撃的であった。
アンネ・フランクの短く壮絶な人生は多くの人が知っている。
しかしながら、その名簿に名があった人々にもまた親がいて、家族・友人がいたはずであるが、それらの人生は語られることはない。
アムステルダムに来る機会があれば、ぜひ訪れてほしい場所の一つであると言える。
この施設はオンラインチケットのみであったように思うし、とても人気の施設であるからシーズンになると一カ月先まで予約でいっぱいということもある。
早めに予約をする必要がある。
最後に、アムステルダムで有名なカフェについて。
Winkel 43 というカフェのアップルパイは有名である。とてもでかいアップルパイにホイップクリームを追加して頼むというのが、定番である。
以上